1954-08-19 第19回国会 衆議院 人事委員会 第28号
○辻原委員 最後に、文部大臣の御意見もだんだんと承りまして、出る幕でない大臣が——これは私の主観でありますけれども、この種の問題を取上げて、千葉県の教育委員会が資料収集その他でいろいろこの問題を取扱われ、結論を出しかねておる、昨十八日には千葉にお出でになつて、千葉教育委員会の会合の席上で一席ぶたれて、さらに本日はここにお出ましになつて最悪の場合には勧告をも辞せない、こうだんだんたどつて参りますと、大
○辻原委員 最後に、文部大臣の御意見もだんだんと承りまして、出る幕でない大臣が——これは私の主観でありますけれども、この種の問題を取上げて、千葉県の教育委員会が資料収集その他でいろいろこの問題を取扱われ、結論を出しかねておる、昨十八日には千葉にお出でになつて、千葉教育委員会の会合の席上で一席ぶたれて、さらに本日はここにお出ましになつて最悪の場合には勧告をも辞せない、こうだんだんたどつて参りますと、大
もしこれほどはつきりしておるところの見解に逆つて、これは抵触しないのだという結論を委員会として出すならば、その人事院規則を引用しておるところの教育公務員特例法に抵触して来る、従つて千葉県の教育委員会というものは、法律違反を犯すということになるじやないかと思うのです。
従つて千葉県の問題は、私は取上げなさるな、取上げてはいけないと言つておるのではない。むしろこの総理大臣の言葉から見るならば、こういうことはさまつな事柄ではありませんかと私は言つたのです。従いましてこの委員会が取上げることは、私はもちろん反対しておりません。
記者団の一行は役場の前でおりて、防衛隊本部の写真などをとつて、直ちに川のほうへ行つて橋を渡つて千葉県側の堤防におりて、徒歩で橋の中央まで戻つて来まして、各自何といいますか、布川町の撮影をして、建設省の係官の説明を受け始めていたところへ、召集に応じた防衛隊員五、六十名が大変こう罵倒した言葉を使いまして殺到して来た。
これは委員長理事で三人で確認しておるはずであつて、千葉君の今の発言はいささか事実と相違があると、こういうふうに思います。(「委員長、議事進行」「動議の採決」「委員外の発言」と呼ぶ者あり)
まず第一に、御承知だと思いますが、犢橋村の柏井から横戸の両地区にまたがりましたゴルフ場、これは戦争前にゴルフ場として約八十余町歩の敷地を持つておつたものが、戦争後農地に開拓するということになつて、千葉県県農会が県の指導によつて開拓地として指定し、その中の約六十町歩に東京都から約五十人の入植者を迎え、他の一部二十町歩には直接東京都のあつせんによつて開拓訓練所を卒業した者が入植した。
駐留軍の演習等によつて、千葉県は漁業も水産加工業も大きな被害をこうむつて、もう生活をすることもできなくなつているということはわれわれよく知つております。そこでやはり日本の国の状態からいたしますと、いかに日米の行政協定が暫定的のものといいましても、相当長い問この状態が続くのではなかろうか、かように思うのであります。
それからわれわれは昨年の十三国会において議論して、それ以前にこの問題は小高委員が非常に熱心に論議されて、まずこの解決点は、転業しなければならないのではないかという議論まであつて、千葉県における浅海漁業に対する政府の補助まで与えて、ちの漁場を開拓するようにやつたものであります。
○鈴木恭一君 そうしますと只今私がちよつと例をとりましたように、東京におつて千葉県と神奈川県というふうな区域を持つておるようなものは、これは一区域と言えますか、それぞれ一区域と解釈すべきか、いずれでございますか。
自分はこじき同然の姿になつて千葉県に引揚げて、里に世話になつている。何とか夫のありかを探してくれというお手紙でございました。中共地区から来ました手紙は、高山の助役さんの娘でありますが、これは終戰当時に中共軍に連れて行かれまして、看護婦にさせられまして、国には帰されず、中共軍に従つて雷州島までも行つたという手紙であります。私は子供のときから丈夫でした。
「「ここにガス事業」とは、一般の需用に応じ導管によりガスを供給する事業又はこれにガスを供給することを主たる目的とする事業」ということでありまして、パイプによつて供給しておるものがガス事業でありまして、天然ガスでありましても、パイプによつて千葉から東京附近とかあるいは新潟から東京附近まで運びますと、この政令の適用を受けるのであります。
二十八日に起りました颱風によつて千葉県下特に銚子あたりにおいて非常に被害が大きかつたという新聞報道でありますが、まだ真相はわかりませんけれども、漁船五十杯内外が大破をしたというような情報であります。由々しき問題と思いますのでその実情を調査するということの動議でありますが如何いたしましようか、
その運轉も普通車掌というのは乗務交路表を持つて、乗務しなければならないのでありますが、その日の管理部員は全然乗務交路表を持たずにこの電車に乗れと言つて、千葉から乗り出し、そのまま折返しになつて電車にまた乗務して來るというぐあいで、しかも中には過去十年前に車掌を経験したとか、あるいは五年前に経験したとかいうようなしろうとに近いような車掌が乗務させられておつたわけです。
たとえば夜の終列車で帰る車掌は、千葉なら千葉で例を申しますと、これはほんの例でありますから、実際の問題ではありませんが、終列車で帰つて、千葉の市内に家を持つている者なら、家へ帰ることができます。しかし非常に遠方の鴨川、あるいは銚子等から通勤している車掌は、從來も帰れなかつたわけであります。新勤務になつたからといつて、特に帰れないという状況ではありません。
從つて千葉君も特に言葉を用いて直接に関係はないという趣旨はそれで私はいいのじやないかと思います。併し自分といたしましては、それよりも経済九原則というような関係方面から要請されたそういう線じやなくても、名前は違つても大体ああした構想で行く方が日本の経済の現状の復興の姿であると思うのであります。
例えば、これによつて千葉から東京への六ケ月の定期は八百円から一挙千九百九十円に、約二倍半になります。又遠距離逓減がやめられますので、東京から京都への三等は三百六十円から六百円に、二倍近く値上げされるのであります。のみならず五百三十二億円の人件費を三割一分削減してこれを三百六十六億円に圧縮し、これに伴つて大量の首切りをしようとしております。
そのことが問題になつて千葉委員長の更迭問題が起つたのであります。これは何でも千葉委員長を無理やりに我々の力で陷すということは全然できません。と同時に我々は千葉委員長というものに対して、私の收容所から來たものは單に全部で四十一名であります。それだけが千五百名の中に來たのでありまして、第十收容所は総員が確か八百か九百名おつたのであります。
被疑者は第一物産株式會社社長松葉彌熊ほか二名であつて、本件はオリエンタル物産株式會社社長馬崎三次郎が常民科學研究所龜井貫一郎經營でありますが、この研究所で復員軍人軍屬の被服を洗濯して一組三百五十圓くらいで、民間に拂下げる旨を聞知したことをめぐつて起きた事件であつて、千葉県教育會は本年四月、軍服四千著を注文して、その代金名下に三百萬圓を騙取せられておるのであります。
こういうような形になりましたので、當時の小杉生活課長に私が用件があつて行つて、千葉縣の農業會の成島會長にぜひ會つて一應この眞偽を確めてみたいから紹介状を下さいと言つて、小杉生活課長から、清水清は警視廳の協力者であるから紹介するという紹介状をもらつて、千葉縣の農業會に再三行つたことがあります。そのときに千葉縣の成島氏は病氣あるいは不在で會うことができませんで、その事件はうやむやに葬られた。